わが家の受験日記

~病気がちな母の奮闘記~10年にわたる受験の振り返り

【むすめのこと】高校生活と大学受験に向けて

おはようございます。イムです!

 

娘の高校生活は、最初こそ志望校へ行かれなかった無念・未練などあったようですが、

周りの友達も志望校へ行かれなかったという話を聞き、徐々に元気になっていきました。

とはいえ、進学した高校もそれなりに偏差値の高い進学校だったので勉強に関しては心配していませんでした。

 

ただ、体育会系の高校だったので娘に合っているのかわからなかったのですが、

運動神経がそれなりによかった娘は、高校の体育祭のリレーメンバーになって3年間走りました。

高校時代の成績は、TOP2~4くらいを維持していました。

 

高校に入ってから医学部を目指して勉強していた娘ですが、

塾と学校の勉強が両立できなくなり、成績も伸びず下がることもあり、

また、夜11時過ぎに塾から帰ってきて1時前に寝て、朝5時に起きて6時には家を出る

という生活をしていたので、 親の私が医学部受験をやめるように何度も説得しました。

 

そのたびに娘は

「大丈夫!学校と塾の勉強を両立させる」

「諦めたくない」

と言い、2人で号泣していました。

でも、医学部となると学費も高いし、国立大学の医学部に進学できるほど成績は良くないと

分かっていたので、泣く泣く医学部受験を断念させてしまいました。

情けない親です( ノД`)

 

三者面談で医学部受験をやめる、と担任の先生に伝えたときに

「諦め癖がつくよ」

と言われたのが、無性に腹が立ちました。

どれだけ辛い選択を娘にさせたのか先生に分かりますか?!

と口から出そうになりましたが、グッと我慢したことをいまだに覚えています(笑)

 

高校3年になり、看護の道を選択した娘ですが、国立大学と私立大学(2校)全部で3大学に絞って勉強を始めました。

塾は今までとは違う塾に通い始めましたが、学校終わりに塾に通っていたため

制服で通っていたのですが、周りは都内の上位校の生徒ばかりで、とても居心地が悪かったと言ってました。

 

数学と英語に通っていましたが、英語の先生に当てられて最初は答えられなかったけど、

徐々に答えられるようになって嬉しいと言っていました。

 

その後、その英語の先生のブログに娘のことが載せられていました。

「〇〇高校在籍の生徒、最初は当てても答えられなかったが、

徐々に彼女は力をつけて、私が当てると必ず答えてくれる。

安心して当てることが出来る生徒だ」

 

そのブログを娘が見つけて、私に見せてくれた時には嬉しくて涙が出そうになりました( ;∀;)

 

物覚えは良くありませんが、人一倍努力をする、それしかできない娘です(笑)

 

娘は国立大学への進学を第一志望、第二志望の私立大学は1つは特待生で合格することを目標、

第三志望の私立のもう1つの大学は娘の学力とだいたい同じレベルの大学でした。

 

三者面談の際、国立大学の公募推薦を受ける娘に対して

「絶対に受からないから、受からなくて落ち込むようなら最初から受けないでほしい」

と担任の先生に言われたほどです。

それだけではなく、「もう少し、志望校を増やして受験してほしい」ともいわれ、

「その気は全くない」と言い切った娘でした( ^ω^ )

 

高校からしてみれば、生徒が合格した大学が実績になるのかもしれませんが、

その手に乗るような娘でも、私でもありませんでした(^-^;

 

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